神の武具 エペソ6:13~17
2,正義の胸当て
心を守り、きよさと正義のために戦いを効果的にするには、神様を敬う品性と神様との正しい関係が必要です。
イザヤ59;17
主は義をよろいのように着て、
救いのかぶとを頭にかぶり、
復讐の衣を身にまとい、
ねたみを外套として身をおおわれた。
1ペテロ2;24
キリストは自ら十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、
義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
人が正義について話し合うなら、終わらない議論になってしまいます。世界には守らなければならないことや人、憐れむべき瞬間は溢れていて、何について、誰を優先に考えるべきか、意見はそれぞれです。神様は正義を完全に行うことのできる唯一の方です。なぜなら、イエス様はその身を犠牲にして、すべての人のために正義を行なってくださったからです。義という漢字を見ると、「羊・我」の二つの漢字でできています。これは、子羊として人の罪のために献げられたイエス様ご自身を現しているのです。今も生きて働くイエス様は三位一体の義なる神であり、引き続きこの世界に正義を行う者に力を与え、イエス様のように身も心も霊も父なる神に委ねるように導かれます。
正義を胸当てにする時、戦いに負ける…、というより、損をするように思えるでしょう。イエス様の十字架はまさにそのようなものでした。罪のないイエス様は、罪有りとされ、むち打たれ、死刑で殺されたのですから。見るからに完全な敗北です。しかし、御心を行ったイエス様に、御心の勝利がありました。誰も想像することができない奇跡によって、よみがえられたのです。
神様が用意しておられる勝利は、人が思い描くものではなく、神様にしか成し得ない勝利であることが明らかになるような方法でなされます。もし、正義を行なった結果、空しくなるようなことがあれば、神様の与えてくださる逆転勝利を期待してみてください。正義の胸当てを身につけていた者は必ず勝利を得ます‼︎