自分の願い、感情、情熱を抑制する規律正しい行動のこと。誘惑に打ち勝ち自分を霊的に強く純心に保つには、神に頼らなければならない。これはまた結婚の誓いに忠実であることにも密接につながっている
1コリ7:9
しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚する方が良いからです。
9:25
競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは口ない冠を受けるためにそうするのです。
テトス1:8
教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えを持って励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。
2:5
慎み深く、貞潔で、家事に励み、全良で自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
自制をする上で、私たちの考え方はいつでも聖書のみことばに習っている必要があります。自制は神様を知らない人も励んでいることで、良い情報もあれば、信仰において悪い影響のある情報もあるからです。
特に健康に対して、さまざまな情報が飛び交っています。ウイルスが流行したことによって、多くのメディアによって振り回される世の中です。私たちが全ての情報に耳を傾け、それに習って気をつけて過ごすなら、教会に来ることを選ばないでしょう。集まって、ともに賛美し、礼拝することも祈り合うことも自制を理由にしてやめることが臨ましくなってしまうのです。私たちの前に説得力のある情報があっても、みことばを優先にしたいのです。本当に神様はそのような自制を求めておられるのか。むしろその情報が誘惑となっていないか、見極めなければなりません。
私たちの感情は、放っておけば、罪の方向を向いて、求めるものや考えること、反応も全て神様の願うものではありません。年齢や性別、職業や文化によらず私たちは皆そうなのです。罪悪感があってもなくても、神様の前に出て、自分は今どのような自制をすべきかを聖書から見つけ出し、励むことが必要です。その努力を見て、周りの人はみことばに説得力があると認めざるを得ません。