人に対して特に厳しい行動が予測される敵に対して有効的で温和で寛大な態度を示すことのできる特性のことである。同意語のエピエイクイアと同じように、人生の正しい道を進む人のことを意味していたけれども、後になって寛容とか寛大を意味するようになった。柔和な人は慈悲深く適切な行動を取ることができる。
2テモテ2:15
あなたは勤めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばを真っ直ぐに解き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に捧げるように最善を尽くしなさい。
1ペテロ3:16
ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心を持って弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなた方の善良な生き方をののしっている人たちが、あなた方を悪く言ったことを恥じるでしょう。
柔和さは、心の知れている人たちに対してよりも、自分を誤解している人や敵対している人、言葉と言葉だけのコミュニケーションを強いられている相手に対して示すべきものです。柔和さを示しても、問題の大部分が回避されることはあっても、感謝されることは少ないこともあるかも知れません。私自身も柔和な心で接してくれた人を誤解したまま過ごし、何年も経って自分が同じ立場になった時、「あの人は柔和な心を示してくれていたんだ、寛大な人だったんだ…」と思うことがありました。柔和さを示される方は、柔和さを示してくれる人より未熟であることは仕方がありません。ですから、柔和さを示すなら、その人から何か良いものが返って来ると期待するより、神様が最善を尽くした私たちに対して、憐れんでくださり、慈しみを持って祝福してくださることを願うのです。
私たちが柔和さの痛みを知れば知るほど、神様が私たちをどれだけ愛しておられるか、柔和な心で私たちを見つめておられるかを知ることができることは、一番の祝福です。