正しいこと、他の人の益になることを行おうとする犠牲である。真理には熱心になり悪を憎むこともある。悪や不正に挑戦したりそれを正したりする行動
マタイ21:12−13
それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
善意はいつでも相手にその真意が伝わらないこともあるでしょう。なぜなら、イエス様がとった行動は、怒りをあらわにして強く正しいことをあらわしたからです。時に悪を正すために叱ったり、大きな行動をとることも必要です。嫌われることや指を刺されること、陰口を言われることを恐れていると、悪意を持った人たちや神様の導きと真反対の行動をとる人たちの思い通りになってしまいます。人と対立するのではなく、悪意と対立し、私たちの周りを清くしていかなければ、その悪意は増え広がり、その土地やその人に根付いてしまうのです。
一人でも多くの情熱的で犠牲的な善意ある人が増えるなら、神様の用意しておられる恵みを一つ残らず得ることができるようになります。その恵みは、国全体に広がり、神様の栄光がますます豊かに現れるでしょう。私たちも犠牲を払って、正しいことのために行動しましょう。