平安 エイレーネ-2023/09/20

神様との正しい関係があり、神が全てを治めていることを認め、保つことができる平常さと満足。

ローマ15;33
どうか、平和の神が、あなた方すべてとともにいてくださいますように。アーメン。

ピリピ4;7
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

1テサロニケ5;23
平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。

ヘブル13:20
永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、

 

平安の語源は、エイレーネと言いますが、平和とも訳され、イエス様ご自身を示す言葉としても使われています。人が対立したり、神様と対立したり、義と対立する私たちに、イエス様ご自身が十字架によって解決を与え、修復して完全に直してくださったことを現しているのです。

人はいつでも問題を避けることを求めて、瞬間ごとに多くの選択をしています。中には、問題を避けるために、内にこもって人との関係を避けてみたり、挑戦することをやめて消極的であることを励んでみたり、神様に多くを望めば叶わない時のショックが大きいので、願ったり祈ったりすることをやめてしまう人もいるかもしれません。

聖書で言う平安とは、問題や対立、心が萎えてしまうことが起こらない、という意味ではありません。すべての問題に対して、イエス様が解決となってくださり、誰も修復することができなかったことにも、完全で揺るがない方法を通して私たちに心配することがない平安を与えてくださるという意味なのです。

その平安を受けるために、ただ祈って待っているだけではなく、行動を起こすことに導かれることもあります。

人との対立があるなら、許し合い、公平な判断をし、協力し合うことを努力することで、平安を得られるでしょう。神様と対立しているなら、悔い改めて、主の愛の中に赦しを得て、神の子とされることで、そこに平安があるでしょう。挑戦することを諦める人がいるなら、主の栄光のために御心を探りつつ、みことばに忠実に歩み出すことによって、真の平安を確信することができるでしょう。神様に願ったり祈ったりすることをやめたなら、神様がどれほど良い方であるかをみことばや証を通して知り、自分の人生にも同じことが起きることに信仰を持つなら、平安を保ちつつ懇願して祈ることができるでしょう。

平安は、「あるか、ないか」ではなく、平安・平和へと導びかれる主の働きに「従うか、従わないか」であり、御霊による力によって、イエス様がしたように平安の道を歩むことができるのです。