マルコ4章では、イエス・キリストは神の国について、たとえで話されています。
それは、
マルコ 4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。
マルコ 4:12 それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」
という旧約聖書の預言が成就するためでもありました。
神の国の奥義・・・それは本当にイエス様に着いていきたいと思う人々にだけ、解き明かされました。私たちには、聖書を通してそれが示されています。
1.種蒔きのたとえ
種蒔く人→みことばを蒔く人
道端に蒔かれる→サタンが取り去る
岩地→すぐに喜んで受け入れるが、根がないのでしばらく続くだけ
茨→この世の思い煩い、富の惑わし、欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができない
良い地→みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ
2.明かりのたとえ
明かりを持ってくるのは、隠すためではなく、燭台の上に置くため
3.量りのたとえ
自分が量るその秤で自分にも量り与えられる
4.種が成長するたとえ
夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育つが、どのようにしてそうなるのか、その人は知らない
5.からし種のたとえ
どんな種よりも小さいが、蒔かれて生長するとどんな野菜よりも大きくなる
私たちに蒔かれた神の国の種は、生長して豊かな実を結ぶようになります。そこに豊かないのちがあるからです。
私たち自身が「良い地」となって、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ者になりましょう。そのことを、隠さないで、人々に示しましょう。
イエス様が私達を赦してくださったように、他の人にも寛容でありましょう。
小さな信仰でも、それを大切に生長するように育てましょう。そうすれば、奇跡を体験します。
考えてみましょう
・私たちの心と霊の状態はどうでしょう?道端?岩地?茨の地?豊かな地?
・豊かな地になるためにはどうすれば良いでしょう?
・「私の信仰など、役に立たない」と思っていないでしょうか?神の国の種が生長することを信じましょう
・私たちが、神の国に生きていることを、周囲に知らせたいと思いますか?