東京メトロチャーチ

1月3日デボーション

おはようございます。
皆さんと、元旦礼拝をオフラインでもオンラインでもともにすることが出来て感謝でした。

この章で、下記の箇所は時々混乱する聖句ではないでしょうか?
“中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。
「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」
すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。”
マルコの福音書 2章9~12節

私たちにとっては、癒される奇跡は目に見えますが、罪が赦されたことは目に見えないので、癒しの方がむずかしいと感じます。

けれども、実際には罪を赦す方がはるかに難しいのです。罪を赦す権威は、神様しか持っていないので、人間である限り誰も赦しを宣言できません。
イエス・キリストは、神としての権威を発揮されました。
もしかしたら、この病気の一番深い原因であったのは、罪だったのかもしれません。その一番の原因である罪をイエスは扱ってくださったのです。その結果、彼の病も癒やされました。

他の宗教や様々な霊的手段で癒されるということは、よく聞くことです。しかし、この地上で罪を赦す権威は、イエス・キリストにしか与えられていないのです。

章の後半で、イエスは取税人レビを招かれました。彼は、マタイによる福音書を書いたマタイです。
彼は、自分の家の食事に仲間や罪人を招きました。
罪人とは、当時律法を厳格に守ろうとしていない

イエスは、それを避難するパリサイ人たちに皮肉を込めて言われています。
“これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”
マルコの福音書 2章17節

正しい人というのは、「自分は正しいと思い込んでいる」パリサイ人のことで、病人とは「私は完全ではなく、神様の助けが必要だ」と思っている人々のことでした。

考えてみよう
・あなたの罪をイエス・キリストが赦されていると思いますか?
・あなたは、イエス・キリストが言われている丈夫な人ですか?病人ですか?
・イエス様と一緒に取税人たちの食卓に、つきませんか?